
私たちは誰しも、自分なりの価値観を持っています。しかし、それが強くなりすぎると、時に他者を傷つけたり、逆に自分が生きづらさを感じたりすることがあります。ポッシブルワールド・ラジオ中でも「価値観の暴力」についての話がいくつもありました。その中のいくつかをご紹介します。
ビーガン活動家の葛藤
ポッシブルワールドのセッションに参加したとある参加者は、強いビーガンの価値観を持っていて、ゲーム内で漁業プロジェクトが提案された際に「こんなのやるわけないでしょう」と強く反発しました。他の人が「世の中でもこういうプロジェクトは多いよね」と話しても、その参加者は「私には何にもできない、やりたいプロジェクトが一個もない」と憤りを感じていました。
「正しい人たちの中にいると、生きづらいこともある」
価値観を大切にすることは素晴らしいことですが、それが強くなりすぎると、他者の意見を受け入れづらくなり、結果的に孤立してしまうこともあるのです。
価値観は暴力になり得る
「どんなに正しくても、価値観って暴力になる」
どれほど正しいことでも、それが強い力を持ちすぎると、逆に人を縛ってしまう。
「正しさ」は本来、人を導くものであるはずなのに、それが「こうあるべき」と他者に押し付けられると、人を追い詰めてしまいます。
会社の理念と個人の価値観のズレ
ある会社の社長は「社員には会社のことを常に考えてほしい」と思っていました。しかし、周囲からは「みんな家庭もあれば、他の活動もある。全員がいつも会社のことばかり考えるのは無理だ」と指摘されていました。
社長が企業の方向性を示すことは大切ですが、それが個人の価値観と合わない場合、社員にとっては大きなストレスになります。「価値観を共有する」ことと「価値観を強要する」ことは違います。会社でも社会でも、このバランスを考えることが必要なのかもしれません。
境界線を持つことで生きづらくなる
「境界線を強く持つことで安心を得られるが、それが行き過ぎると自分や他者を苦しめる」。
価値観を大切にすることで、ある種のアイデンティティが生まれます。しかし、それが強固になりすぎると、自分自身を苦しめたり、他者を遠ざけたりする原因にもなり得ます。価値観を守るために、逆に自分が追い詰められることもあるのです。
「正しさ」を握り続けることの危険性
「正しさを握ること自体は悪くないが、ずっと握り続けると変化に対応できなくなる」。
「絶対にこうであるべき」と思い込みすぎると、状況が変わったときに柔軟に対応できなくなります。どれほど正しい価値観でも、時代や環境によって変化が求められることもある。価値観を持つこと自体は大切ですが、それが他者を縛る力になってしまうと、知らず知らずのうちに「価値観の暴力」になってしまうのかもしれません。
私たちは、自分の価値観を大切にする一方で、それが誰かを傷つけたり、生きづらさの原因になっていないかを振り返ることも必要です。「価値観の暴力」に無自覚にならないために、相手の立場に立ち、対話を続けることが重要なのではないでしょうか。
ポッシブルワールドはそんな対話のきっかけになるかもしれません