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道具と生きるとは。― テクノロジーと共生するために


まな板の上で包丁を握っている手
hand holding knife

東京の合羽橋で手に入れた鉄の包丁とまな板。決して安くはなかったけれど、手にした時の感触は格別だった。


鉄の包丁は、手入れに手間がかかる。使用後すぐに洗って拭かないと錆びてしまうため、特に湿度が高い地域では、ステンレス包丁を選ぶ夫の気持ちも理解できる。


それでも私にとって、この「錆びる」という性質こそが、包丁と使い手の繋がりを深める要素だと感じている。手入れという行為を通して、包丁への愛着が深まっていく。それはまるで、問いかけるほどに愛情が湧く、という表現が示す通りのようだ。まな板を置き、包丁を手に取る。食材を切り、丁寧に洗い、拭いて、元の場所に戻す。この一連の動作を通して、私の想いが包丁に沁み込んでいくような、不思議な感覚を覚える。


言葉ではうまく表現できないけれど、この包丁で切っている時の感触は、刃先と食材、そして私の手が、しっとりと一体になっているかのよう。なんとも言えない心地よさがそこにはある。木のまな板もまた、軽くて扱いやすく、表面の程よい柔らかさが刃を優しく受け止めてくれる。包丁とまな板が、単なる接触点を超えたところで共鳴し合っている、そんな風に感じられる。


ふと、「道具」という言葉の由来が気になり調べてみた。仏教用語に起源を持ち、「身を資(たす)け、道を進め」、「善法を増長する具」という意味があるそう。


道具とは、単なる無機質なモノではなく、私たちの「やりたい」を叶えるための静かな相棒なのかもしれない。共に生きる、共生だ。


例えば料理という「道」を極めたいとき、よい道具はきっとその道を照らしてくれる。


日々の暮らしの中で、静かに寄り添い、私たちがよりパワフルに活動できるために力を貸してくれる、かけがえのない相棒。例えば、AI が生成する文章や画像は、私たちの創造性を刺激し、新たな表現を生み出す可能性を秘めている。


でも、ちょっと待って。


道具やテクノロジーは、ただ便利なだけの「モノ」じゃない。


この考え方は、道具からテクノロジーまで広げて考えることができそう。AIを含めすさまじい速さで日々進化するテクノロジー。


それを使う「私たち」が、どんな未来を描きたいのか、どんな風に生きたいのか、問い続けることではじめて、道具たちは意味を持つ。


AI が生み出す情報に偏りがないか、倫理的に問題はないか、といった点も考慮する必要があるし、何より、思考をそして想像を止めずに、その先を見続けることが大切かと。道具やテクノロジーは、人間が怠惰になるためにあるのではなく、人がその先に行けるように助けてくれる存在だ。


 

手になじむ道具と過ごす時間は、日々の生活を丁寧に、そして豊かにしてくれる。

道具とどう向き合うか、テクノロジーとどう向き合うか。

問い続けることで、未来は少しずつ形作られるかもしれない。

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